Profile

佐野哲也

はあとふる歯科医院
院長

1998年に日本大学歯学部卒業後、都内歯科医院にて勤務。2003年、はあとふる歯科医院を開業。

現在の仕事についた経緯

子供の頃、叔父が歯科医師であったので、困った人を助けてあげられる職業として憧れました。

仕事へのこだわり

大学卒業時は、海外留学をして世界の最新の歯科医療技術を身につけ、それを地域で実践出来るような歯科医師になりたかったのですが、父親の事業がうまくいっていなかったため、大学の医局に残ることが出来ませんでした。
まずは生活費を稼がなければいけなかったので、大学の教授の紹介で一般歯科医院に勤務しましたが、当時の一般歯科医療から見ても、かなり遅れた治療しか出来ない環境下で、図書館で本を借りて読んだり、少ない給料の中から書籍などを購入したりして独学で勉強していました。
そんな状況を見かねた同級生が、無給だけど勉強になるという歯科医院を紹介してくれ、そこで3年間、平日の休みは修行し、当時の世界トップレベルの歯科医療知識と技術を学びました。その後、勤務していた医院の院長から分院開業の話をもらい、卒業5年目に現在の医院を分院長として開業しました(現在は営業権を取得し自分の医院として開設しています)。
勤務医であれば経営者の指示に従わざるを得ず、本当は助けられる歯を助けられなかった、という思いもあり、開業するにあたっては、出来るだけ歯を削らない、抜かない、予防を中心とした診療所を作ろうと色々な勉強会や講習会に参加し新たな知識を得ようと努力しました。
その中で、海外の虫歯の教科書を翻訳している勉強会があることを知り、その設立から会員として入会しました(この勉強会には現在も所属しています)。その会で海外の虫歯の教科書だけでなく、歯周病の教科書の翻訳自費出版に携わるうちに、もっと自分だけで海外論文を読んでそれを治療に生かせるようになりたいと思い、日本歯科大学生命歯学部の歯周病学講座の聴講生として、入局しました。
大学院生向けの講義を若い大学院生たちと一緒に受講するのですが、課題論文だけでも毎年100本近く海外論文を読まねばならず、また同時進行で海外の教科書の翻訳もしているときは、診療後、毎日スターバックスやファミレスの閉店時間まで英語と向き合う日々を人知れず続けていました。
そんなことをしていると、海外論文を500本くらい読み終えた時期あたりから、海外留学経験者の集まる勉強会に誘われたり、歯科医・歯科衛生士向けの講演会や商業誌での執筆依頼も来たりするようになり、他の歯科医師と自分は違った存在になってきていることを実感できるようになってきました。
こんな過程の中で日本歯周病学会専門医と日本口腔インプラント学会専門医、2つの専門医を取得し、その資格を得るための勉強や研鑽を積む過程の中で、一般の歯科医師と異なる、専門医としての自分を作り上げることが出来ました。

そう思えるようになった
きっかけ

自分は元々、留学をしたくて学生時代からラジオ英会話などで英会話を独学で勉強していたものの、それほど身に付くまでには至りませんでした。しかし現在、2000本以上の海外論文を読破する上で、若かりし頃に英語の勉強していたことが役に立ったと思っています。
また、個人差はあるものの、人間は何歳になっても、努力をすれば必ず能力は成長することを知り、自分の才能を信じて、毎日目の前の課題をコツコツと取り組めるようになりました。

今後の目標

自分の経験から、歯科医は同業の若手を食い物にして、利用しようとする人間が少なからずいます。また、若いときは争うように勉強をしていても、一通りの診療ができるようになると、自己研鑽を止め、人生の後半を乗り切ろうとする者が多いように感じます。
若手歯科医師が一生懸命になれる時期にその教育に携わることで、そのやる気が「学ぶことがとても楽しい」といった感情に結び付くよう、導いていきたいと思っています。
一生学び続けることが自分の人生をより豊かにすることを知る人間を育成し、それが治療する患者さんに還元されることで、社会に貢献できればと考えています。

※ 本サイトに掲載している情報は取材時点のものです。

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