私が8歳の時、3歳下の妹が急死しました。心臓の突然死で、とてもショックでしたし、人に生死の境の狭さを痛感し、子供ながらに医療に携わっていこうという思いを抱きました。その後、医大に進学し、2年経った頃に学生紛争が起こり、大学が封鎖になってしまいました。途方に暮れる中、父の提案によってヨーロッパに渡りました。
ドイツで留学を始めるや否や大学が再開されたのですが、ドイツに留まることを決め、約1年の留学後に日本の大学に復帰しました。6年生の時に外科を希望し、入った医局では心臓外科もやっていました。研修が終わる頃には、高度な技術が必要な心臓外科をやってみたいと考えるようになり、心臓手術の症例が多いドイツへ再び渡りました。
第四助手からスタートし、第三助手、第二助手、第一助手を経て執刀医となっていくのですが、そこで手術スタッフとしての経験を身に付け、いかに出術に立ち会って技術を洗練させていくことの重要性を学びました。