祖父・両親とも医者で、病院の隣で育ったこともあり、母の隣で診察の見学を行うなど、幼少期から医療が身近なものでした。
夜間の呼び出しなどもあり仕事の大変さも見てきましたが、やりがいのある仕事であることも伝わっていました。周囲からは跡継ぎのように言われがちでしたが、両親から医者になれと言われたことがなかったのも、大きかったかもしれません。
また外科を選んだ経緯としては、祖父・父が外科医であったこと、ブラックジャックなどの漫画の影響もあり、自然と外科を目指しました。
特に食事を食べることは人の喜びの多くの要素なので、その喜びを維持したいという想いで消化器外科を選びました。胃の手術がうまくなりたくて、さらに難しい膵臓の専門医になりました。
その後、病院経営が“法人自体は黒字だが病院は赤字”という状況に至り、戻ってきて立て直しをしてほしいという話があったため、板倉病院に戻ることを決意しました。
地域の動向を研究し、断らない救急をモットーに病院を黒字化し、がんの専門医から一気に路線を変えて地域医療の将来像を模索しています。
Profile
梶原崇弘
医療法人弘仁会 板倉病院
理事長・院長
2000年、日本大学医学部医学科卒業。同年、同大学医学部消化器外科入局。国立がん研究センター中央病院肝胆膵外科、日本大学医学部消化器外科などを経て、2012年に医療法人弘仁会板倉病院の院長となる。2019年から同法人理事長を兼任。日本大学医学部消化器外科臨床准教授、日本在宅療養支援病院連絡協議会理事を務める。
現在の仕事についた経緯
仕事へのこだわり
患者さんを自分の家族と思って治療する。
その為には準備が大切。緻密に計画し、日々の訓練を怠らないこと。
この基本は、現在の病院経営においてもぶれていません。
現在は、まずは患者さんのため、次に職員のため、最後に法人経営という優先順位を間違えることのないように緊張感をもって過ごしています。
そして職員にも我々がなぜ存在するのかを常に発信しております。医療介護職に就いている方々は「誰かを助けたい」という想いでやっているので、常に「使命とは」を問い続けた教育も行っています。
また、職員とその家族は絶対守るという心意気で取り組んでいます。家族にも「板倉病院でよかった」「うちの法人でよかった」と思ってもらえるように行動するのが私自身の仕事だと思います。
さらに、筋が通っていないことはしない、目先の利益を求めることはしない、医療は非営利であるという原点(全く赤字では困るので、健全経営をしつつ患者・職員のために投資をする)を忘れずに、地域における自分たちの使命を果たすように心がけています。
病院は多職種協働の場です。病院の目指すビジョンを多くの職員と共有し、共感してもらう必要があります。共に目標に向かっていけるように、人材育成に力をいれています。
そう思えるようになった
きっかけ
利益を生むだけであれば、他の仕事を選んだほうが割はいいと思います。
先生と呼んでもらえる仕事には、お金以上のやりがいという価値があるのです。
人生は1回しかありませんし、幸いに人に幸せを配りうる環境に育ててもらったので、その分はしっかりと貢献しなくてはいけないと思いました。
そしてどうせやるなら、だれよりも面白そうでかっこいいことがやりたいです。
職員にも、家に帰ってお子さんの目をまっすぐ見られるような仕事をしてほしいです。
先生と呼んでもらえる仕事には、お金以上のやりがいという価値があるのです。
人生は1回しかありませんし、幸いに人に幸せを配りうる環境に育ててもらったので、その分はしっかりと貢献しなくてはいけないと思いました。
そしてどうせやるなら、だれよりも面白そうでかっこいいことがやりたいです。
職員にも、家に帰ってお子さんの目をまっすぐ見られるような仕事をしてほしいです。
今後の目標
都市型地域包括医療のモデルになることです。
船橋という特殊な環境のおかげでできている要素も多分にあると思うので、当院の取り組みが一般化するかというと、難しいかもしれません。
しかし、職員とビジョンを共有し、地域と連携していくことのモデルを提示することはできるかもしれません。それをヒントに各地域で、その地域なりの地域モデルができればいいと思っているので、その一助になれればと思っています。
また、ビジョナリーカンパニーを目指しているので、市民、職員、医療法人という順番を忘れずに実現していきたいです。
これから医療単体の時代は終わると思います。地域づくりをする際に病院発であれば公平性が保てると考えています。まずは板倉病院からまちづくりをし、コミュニティを通して動く地域デザインを確立させることで、「病院が地域をつくり、地域が病院をつくる」を実現させていければと思っています。
船橋という特殊な環境のおかげでできている要素も多分にあると思うので、当院の取り組みが一般化するかというと、難しいかもしれません。
しかし、職員とビジョンを共有し、地域と連携していくことのモデルを提示することはできるかもしれません。それをヒントに各地域で、その地域なりの地域モデルができればいいと思っているので、その一助になれればと思っています。
また、ビジョナリーカンパニーを目指しているので、市民、職員、医療法人という順番を忘れずに実現していきたいです。
これから医療単体の時代は終わると思います。地域づくりをする際に病院発であれば公平性が保てると考えています。まずは板倉病院からまちづくりをし、コミュニティを通して動く地域デザインを確立させることで、「病院が地域をつくり、地域が病院をつくる」を実現させていければと思っています。
※ 本サイトに掲載している情報は取材時点のものです。