現在の仕事に就いた経緯は、山形大学医学部を卒業後、地域医療への憧れから北海道へ移住したことに始まります。
札幌医科大学地域医療総合診療科に入局し、札幌徳洲会病院、市立函館病院救急救命センター、自治医科大学地域医療学センターなどで経験を積みました。
45歳までは救急総合診療と研修医教育をライフワークとし、キャリアの節目に地域医療での外来診療と訪問診療に注力したいと決意。さらに、DXやAIの進展を活用し、「患者と医療従事者双方に効率的なクリニック診療モデル」を実現するため尽力しています。
稲熊良仁
医療法人ミライエ 緑町診療所
理事長
2001年3月 国立山形大学医学部医学科 卒業
2001年4月 札幌医科大学地域医療総合診療科 同附属病院初期研修医
2002年4月 札幌徳洲会病院初期研修医
2002年4月 鹿児島与論徳洲会離島研修
2004年4月 厚岸町立厚岸病院内科部長
2006年4月 市立函館病院救命救急センター医長
2008年4月 江別市立病院総合内科部長
2009年4月 自治医科大学 地域医療学センター臨床助教
2011年4月 札幌医科大学 地域医療総合医学講座助教
2013年4月 厚岸町立厚岸病院内科部長
2014年4月 倶知安厚⽣病院総合診療科医長
2018年4月 倶知安厚生病院総合診療科部長
2020年4月 開業
現在の仕事についた経緯
仕事へのこだわりとスタイル
新人時代から現在に至るまで、私の仕事の基本スタイルは「患者さん一人ひとりに寄り添い、その人らしい生活を支えること」です。医師として最初に勤務した頃は、緊急度の高い状況で迅速かつ的確な判断を求められる救急総合診療を中心に携わり、患者さんの命を守る最前線に立ち続けました。その中で、どんなに忙しい環境でも患者さんやご家族の話に耳を傾けることの大切さを学びました。
また、研修医の教育にも注力し、後進の育成をライフワークと考えたのも大きな柱です。「医師として何をすべきか」という技術面だけでなく、「どう患者さんと向き合うべきか」という姿勢を大切に伝えることに尽力してきました。これは、患者さんの背景や希望を理解しようと努めることで、より良い医療を提供できるという信念に基づいています。
45歳を迎えたとき、急性期医療から地域医療へと軸足を移すことを決意しました。これは、急性期医療で多くの経験を積んだ今、自分のスキルをもっと身近な地域で活かし、長期的な健康管理や予防医療に貢献したいという思いがあったためです。現在は、外来診療と訪問診療を通じて、患者さんの日常に寄り添い続けています。
私のスタイルのもう一つの特徴は、時代の変化に合わせて柔軟に対応することです。医療DXやAIなど新しい技術の導入に積極的に取り組み、患者さんにとって効率的かつ質の高い医療を提供するためのクリニック診療モデルを模索しています。「最善の医療をどのように現場に実現させるか」を常に考え、医療従事者としての進化を止めないことが私の信念です。
これからも、患者さんの生活に寄り添い、地域医療を支える存在であり続けるために、新しい挑戦を続けていきたいと考えています。
そう思えるようになった
きっかけ
急性期医療の現場では、一刻を争う命の危機に立ち向かう中で、医療が患者さんの人生に与える影響の大きさを痛感しました。救命が成功しても、患者さんがその後どのような生活を送るのかを見届ける機会が少なく、「もっと長期的に寄り添う医療を提供したい」と思うようになりました。
さらに、地域の中小病院に勤務していた時代の経験が、私の仕事への姿勢を形作りました。患者さんの人生は病院の自動ドアの向こう側にある。患者さんの人生の背景や思いを深く理解することで、単に病気を治すだけでなく、その人の生活全体を支える医療ができると気付いたのです。
そして、キャリアの中で医療現場の課題に直面するたびに、「患者さんにとっても医療従事者にとっても効率的で優しい仕組みが必要だ」と強く感じるようになりました。特にDXやAIの進化を目の当たりにし、それらを活用することで新しい医療の形を模索する決意を固めました。
こうした経験や学びが積み重なり、現在のスタイルや目指す医療の形を追求するきっかけとなりました。
今後の目標
また、開業医としての実務もDXで仕組み化することで、従来の負担の大きい開業スタイルから脱却し、ワーク・ライフ・バランスを可能にする新しい働き方を提案します。当院を、若手医師にとってキャリアのプラットフォームとなる場に発展させ、地域医療と未来の医療従事者の育成に貢献していきたいと考えています。
※ 本サイトに掲載している情報は取材時点のものです。