Profile

辻晋吾

JCHO
大阪みなと中央病院

院長

1981年、大阪大学医学部卒業。卒業後、大阪大学医学部附属病院、関西労災病院にて勤務。
1985年より大阪大学第一内科、米国アラバマ大学バーミンハム校、バンダービルト大学にて研究。
1997年 大阪大学医学部助手、2002年 同講師を経て、2008年より大阪船員保険病院(現 JCHO大阪みなと中央病院)勤務。
2024年より同病院院長。

現在の仕事についた経緯

高校時代は読書魔で文系(文学部)受験を考えていました。
高校2年の時に恩師から医学部を勧められたことが医学部受験のきっかけです。

仕事へのこだわり

仕事へのこだわりはありません。
医学部卒業後は臨床医として従事するものと考えていましたが、学会発表が癖になり、最初の論文も臨床研修先で作りました。
結局、大学医局の人事で大学に行くことになり、当時新たに出てきた電子内視鏡の画像解析と消化管傷害の研究を指示され、研究に従事しました。
画像解析の研究で博士号を取得しましたが、スウェーデンカロリンスカ研究所で同じ研究をされている先生がおられ、冬のストックホルムに招聘されたのは良い思い出です。
消化管傷害では学会賞を取りましたが、後に炎症性腸疾患の再生医療につながりました。何事も「継続は力なり」ですね。
2回の留学ではそれぞれ肝傷害、発がんとCOX-2との関わりに携わりました。帰国後は臨床・研究・教育を大学病院でしていましたが、臨床医学の講座にいると、知識を臨床に還元したくなるのです。
大阪船員保険病院に赴任してからは、根っからの臨床医に戻りました。

そう思えるようになった
きっかけ

大阪大学内では、川野淳、佐藤信紘、鎌田武信、林紀夫(敬称略)などの諸先生に研究面臨床面での指導を得ました。同じ研究室内に糖尿病研究で有名な七里元亮、河盛隆造先生がおられ、研究者としての立振舞いを教わったと思います。
循環器内科の堀正二教授に医局長としてお仕えし、人事面で教わることが多かったとも思います。臨床医としては臨床研修で最初に面倒をかけた房本英之先生が未だにロールモデルだと思います。

今後の目標

「臨床医として一生を全うしたい」と言えば恰好は良いと思いますが、院長を拝命した以上、そうも言っておれません。経営基盤強化が最大の目標となります。ご存知のようにCOVID-19流行により、どの病院も相当なダメージを負いました。流行は一応収束しつつありますが、経営状態はどの病院も思わしくありません。
幸い当院は中規模ながら、循環器、腎臓、内分泌、消化器、血液などの内科専門医や消化器外科、整形外科などの専門医を擁しており、高齢化社会のニーズには答えるだけの内容があります。公的病院初の美容医療センターを有し、大阪弁天町駅という交通至便の位置を活かして行きたいと思います。

※ 本サイトに掲載している情報は取材時点のものです。

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