子どもの頃から私は父の仕事を継ぐものだと思っていました。
高校3年の期末試験勉強中に、NHKで義手や義足に関する番組を見ました。工学に興味があった私は、患者に合ったものを作る決定者は医師だと気づきました。
そこで医学部に入った当初は整形外科医を目指していましたが、よく考えると内科や外科、産婦人科や整形に入局しても、全体の中の一人にすぎないということに気づきました。バックボーンのない私にとって、自分一人でやっていける分野として麻酔科を選びました。
麻酔科には20年ほどしか在籍しませんでしたが、眼前の事象にとらわれないで広い視野で患者を診るという考え方が身についたと思います。
永井一成
信州会クリニック
院長
1979年 北里大医学部卒業、医師免許取得。
1979年 北里大学医学部 麻酔科入局。
1985年 麻酔科指導医取得。国立相模原病院 麻酔科医長。横浜市立大学医学部 非常勤講師。北里大学医学部 非常勤講師。
1988年 医学博士号取得。
1992年 北里大学医学部講師。
1995~1996年 英国留学。
1998年 北里大学病院 中央手術部副部長。
2001年 信州会クリニック 開設。
2018年 日本臍帯胎盤プラセンタ学会 理事。
現在の仕事についた経緯
仕事へのこだわり
仕事へのこだわりですか。大変難しい質問です。何しろ、何一つこだわりを持って行動しているとは言えませんので、困ったものです。
開業時に考えたことは、他所のクリニックの真似をするのではなく、自分なりにクリニックはこうあってほしいと思うような形にすることでした。すなわち、無駄な待ち時間をいかに短くするか、そして現在でも続けていますが、患者様へのお釣りは必ず新券でお返しするようにしています。
また、患者様は別に医師が見下す対象の人間ではありません。同じ目の高さで話をするため、物理的にも診察室の椅子は私と同じ型のものに座っていただいています。
私自身もそうですが、病院に通うということは決して楽しくも簡単なことでもありません。体の辛さや痛みを持って来院される方々ですから、お帰りにはハッピーな気持ちになれるようにいつも心がけております。
また、臨床の勉強は紙の教科書ではなく、目の前にいらっしゃる患者様から教わることだと思っています。時間が許す限りお話をしております。8割方が雑談かもしれませんが、その中にその患者様の病気の背景がうっすらと見えてくるので、処方や治療方針の決め手になります。
人間が臓器の集合体と考えるのは勉強する上ではとても楽です。ただ、目の前にいる患者様は一人の人間です。すなわち、もちろん臓器も持っていますが、その裏にはその方の人生や考え方などがあり、今の一人の人間を形成しています。その人を見なければ、究極的な目的である「その人は幸せに暮らせるか」ということには必ずしも答えられないのではないかと考えています。
冗談交じりによく言うのですが、我々医療人は患者様に食わせていただいております。すなわち、患者様ではなくて、感謝様と思って毎日過ごしております。
そう思えるようになった
きっかけ
何回か来院した後、彼女は突然「私もきれいになりたい」と言いました。私は通常の診療のほかに、美容的なこともしていましたので、彼女はそれを希望したのです。
そして美容的治療を行うにつれて、彼女はどんどん明るくなり、元気になっていきました。そろそろ余命が尽きる頃だと思っていた時、しばらく連絡がありませんでした。やはり亡くなったのかと思ったのですが、7年後に杖をついて彼女が突然来院しました。「先生、生きてるわよ」と言ってにこやかに挨拶してくれたのです。
その時、私は思いました。美容医療も無駄ではないと。患者様が来院するのは、ハッピーな気持ちになるためで、それが病気を乗り越えるエネルギーになるのだと。
今後の目標
言わせてもらえば、当院に来てくださる方々のうち、診療が終わった後にハッピーな気持ちになれる人が今よりも増えるように、毎日努力したいと思っています。
そしてまだまだ知らないことが多すぎます。その中でもっと学問的にも人間的にも成長しなければならないと感じています。
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